自分の中での数学と数学教育

結局元日からの三日間どこにも行かず勉強するわけでもなく、食っちゃ寝食っちゃ寝していたわけですが、まぁそれはいつものことだからおいといて。
・・・捨て置いていいことじゃないけれど。



最近新しくやりたいと思ったことって何だろうなぁと考えてみた。
このところ自分よりもいくつも年下の子と話す機会が結構あって、それによって気付くもの・得ているものが結構あるかな、とか。



まず最初に思い出したのは、中学生や高校生って学校生活をあんまり楽しいと思ってないのかな、ということ。
調査をしたわけではないので、あくまで想像でしかないのだけれど。
経済が不安だとか、生きていても楽しいことなんてないとか、もっと無邪気に生きていれば良いのに、そんなことで悩んでいることもあるようだった。
悩んでいるのならまだほっておいても良いと思う。
けれど、悩んでいるどころか、諦めている。
どうせ生きていても楽しいことなんてないし、そう思っていたら楽しいことすら楽しくなくなる。


あるいは、今の中学・高校が楽しくない、次の高校・大学に行けばきっと楽しい、だから受験勉強も頑張る、そう考えることもあるようだった。
確かに新しい環境に身を投じてしばらくは、そこでの人間関係等を、その目新しさを楽しいと感じるだろう。
また、新しくできるようになることが増えることも楽しいと感じるだろう。
でもその楽しさが、それが本当にそこにいる間中続くものだろうか。
もっと言えば、学校という環境から離れ社会に出た時、同じように楽しいと感じられるだろうか、感じ続けられるだろうか。


それは、できないんじゃないだろうか。
目新しさなんて一年もすれば消えてしまうだろう。
未知の物は、それこそ無数にあると感じてしまうほどたくさんあるだろうけれど、その目新しさが消える度に次の未知の物を求めるのだろうか。
それは楽しいことなのだろうか。
新しいから楽しい、それだけでしか楽しさを感じられないままでは、どこかで楽しいことを見つけられなくなってしまうんじゃないかと思う。


楽しさの見つけ方、それは大学生や社会人になってからでも身につけられるものだろう。
しかし中学や高校にいる間に身につけられないことじゃない。
むしろ小学生のうちから自分なりの方法を持っている人の方が多いかもしれない。
自分の持論は、楽しいという感情は本人の気の持ち方次第でいくらでも生み出せるものである、というものだ。
これは自分は正しいと思うけれど、そして自分以外にも通じる人がいると思っているけれど、全く信じられないし実践しても効果がないという人だっているだろう。
たとえこれが絶対の方法でなかったとしても、人それぞれに合った楽しさを見つけ出せる方法がいくつも存在するんじゃないだろうか。
そういうものを探してみたいと思う。
小中高それぞれの時期において、その時にしか感じられない楽しさがきっと存在する。
それを見つけないうちから次の段階での楽しさを求め苦しいことをする、そんなのは全く楽しくないんじゃないだろうか。
もったいないことをしているなと感じる。



関連して思ったことと言えば、もっといろんな人に数学を好きになって欲しいのかな、ということ。
これは、今やっているアルバイトの最中にたびたび感じること。
質問してきた子に答えてあげる、そしてそれに関連する必須ではない話をする。
一通りが終わって(なくても)、相手が「数学って面白いやん」とか「すごい」とか、そんなことを言ってくれた時や、満足そうに笑顔を見せてくれた時、その瞬間が一番やってよかったと感じる、うれしいと感じる。
そういうことがあると、もっと他の人にも同じように感じてほしい、そう考える自分もいることに気付く。
そしてどんな方法があれば多くの人に少しでも数学を楽しい、面白いと思ってもらえるのかを探してみたいとも思う。



今は、どうせどこかでつまるのはわかっている、なんて言いながらも、数学を研究していきたいと思っている。
そしてつまったときの二つ目の選択肢として教育に携わるということも多少は考えている。
その厳しい(と自分は思う)条件のために少し迷ってはいるけれど。
なんとはなしに教育かと考えていたけれど、教育に携わる中でここに書いたようなことを実践できるんじゃないかと思い始めた。
簡単なことじゃないし、たとえ一度うまくいったとしてもいろんな人間がいるのだから一度の成功で残りすべてもうまくいくわけがなくて。
苦しいだろうけれど、やりがいがある、こういうものも妥協ではない選択肢として存在しているのかな、とそんなことを思った。




教育に携わる際にやりたいと思うこと、それは見つかったと思っていいのだろう。
問題は本命。
今の自分に特別やりたいことというものがない。
リーマン予想をはじめ、何かしらの大きい予想を証明したいだとか、整数の不思議をもっと知りたいだとか、そういうものがない。
数学の中にあるいろんなことを知りたいとは思っているけれど、その知りたいと不思議を知りたいの知りたいとは確実に違っている。
一日中数学をする動機がない。
これが今一番自分が研究者としてやっていけないと思っている理由。
能力の事は・・・まぁどこかでぶちのめされるでしょう。


数学を勉強するのは楽しい。
難しい理論を少しでも理解できた時のように、初めて見てちんぷんかんぷんだったものが分かるようになるというのは楽しいプロセスだと思う。
しかしそれ以上に苦しい。
まだ完全に理解できたと思える分野あるいはくくりがないから、ここで書くことが真実である証明はできないけれど。
理解のためには何度も本を読み返す必要だってあるだろうし、自ら例をたくさん考えないといけない。
時には内容を暗記するまで書き写すなんてこともしないといけないだろう。
例を考えた時にはほんとうにその例が正しいのかの検討までしないといけない。
これだけのことをするならば、1ページを読むのにどれだけの時間がかかるだろう。
そして数学は多岐に広がり、各分野から一冊だとしても、数十、もしかしたら百を数えるほどの本を読まなければならない。
絶対全てを読まなければならない、というわけではないにしても、やりたいと思う特定の分野がない自分は、やりたい分野を探すのにそれだけのことをする覚悟をしていなければならないと思う。


勉強することに関して言えば楽しいよりも苦しいの比重が大きいのだから、数学そのものへの興味がなければ研究なんてやっていられない。
そもそも既にあるものを勉強することと研究することは違うだろう。


それでも数学を研究してみたいと思うのは、わくわくできるものがきっと見つかる、そんな気がするから。
そもそも向き合い方が間違っているだけで、もうすでに見つけているのかもしれない。
たったそれだけと思う人もいるかもしれないけれど、自分にとっては十分な理由。
どこかで見つけるのが無理だと悟ったなら潔く諦めよう。
それまではいろんな人に迷惑をかけることになるのかもしれないけれど、それをよしとしてくれる人ばかりだから。
もうしばらくは、このまま進んでいきたい。