ふるえる

継続することができるのも、一つの才能、能力なんじゃないかなって思う。
かなり自分に都合の良い解釈である気がするけれど。
続かない。やる気も、気持ちも、元気も。
自分の軸すら続いていない気がしていて。
どうしようもなく継続することの必要な世界にいるのに、どうしようもなく継続することが苦手だ。
あっちをかじって、こっちをかじって、それでうまくいく世界に行けば良かったのか、それともそこに行ったらまた何か違う不利を感じたのか。
今いるところより、いないところの方が、不満が見えない分良いところであるような気がするけれど、そこにいけば今よりも満足できるかといえば、決してそんなことはなくて。
違う人生を夢想したり、別の選択肢を選んだ自分を想像したりして、後悔することも多いけれど、たいていどこに行っても苦労はつきものなのかなと、そんな風に思うようにもなってきた。


他人との距離の取り方が、これで良いような気もするし、少し近すぎるのかもしれない。案外、遠すぎるのかもしれない。
自分に対してくらい、正しいか正しくないかを判断したかった。でも、正確に判断できることなんて、そしてその判断が覆ることがないことなんて、滅多にないんだなって。
時と場合に応じて、状況に即して、正しいとか間違っているとかが変わってしまうことは、とても良くないことだと思う。でも、どうしようもなく、変わってしまう。
そもそも正しいって何なんだろう。良いことって何なんだろう。自己満足に基準を置くしか、量る術を知らないけれど、そうやって押し付けが生まれていくんだね。
生きるのって難しいな。


そして、何でもう大学院生になってしまうのかな。知識で見て、まだ学部二年程度に達しているかどうかくらいだと思ってしまう。あー、勉強しとけば良かった、って、後になってしか思わないこと。
勉強しなかった時間のことを思えば、その時間を無かったことにして良いと思える時間は少ない。
さて、まず卒業ができるんでしょうかね。
もう大学生は五年目も終わろうとしているのに、いまだに期末試験に向けて何をしたらいいか、自分の方法が定まっていない。
中学生から数えたら、定期試験なんていくつあったんだか、なんて、そんな話を、たまたま帰り道が一緒になった高校の同期と話していた。
どうしようもなく、成長していない。
でもまぁ、お互い多少はまじめになったよね。


会いたくて、会いたくて。いや別に、会ってどうこうというつもりもないのだけれど。いやいや、お茶しばくのもどうこうに入るのかもね。
足りないもの、おかしいもの、しっかり認識していられる気がするんだ。再確認、再認識。
認識してないと、すぐ忘れる。すぐ誤魔化す。すぐ都合よく解釈する。
変えていきたい部分を見ないままに、がむしゃらに前に進んでいくことは、僕にはできない。
さしあたって、それはずっとかもしれないけど、自分なりに、自分ひとりで見つめていかなきゃいけないんだ。


どうしようもなく、どうしようもなく。好きみたい。