相対を、絶対と

人を好きになること、人を認めること、人を信じること。
僕は僕を含めた全ての評価に、絶対的な結論しか出せない気がする。
誰かと誰か、何かと何かを比べることに、あまり重要性を感じていない。
たとえば食べ物で、おいしいと思うことはあっても、今まで食べたどれよりもおいしいなんて思ったことはない。
たとえば人間で、僕は、彼も彼女も、彼女も、彼も、その誰もを好きで、誰かが一番になるということがない。
僕と誰かの二人の間の関係にだけ意味があって、僕と誰かとそのまた誰かを含めた三人以上の関係に、あまり意味を見出していない。
それはただ楽しむためのイベントで、それによって僕と誰かの間の何かが変わるわけではない。
僕の中の判断基準はただそれだけで、その他のどんなものもない。
そんな風に感じられる。
ただ感じられるだけで、相対的に評価していることもあるかもしれないし、気付かないだけで絶対的より相対的な評価をすることの方が多いのかもしれない。絶対的な評価をしてないと言われるのかもしれない。
あるいは、相対的に評価するよりも絶対的に評価することの方が優れていると、そんな風に考えて、絶対的に評価しているフリをしているだけなのかもしれない。


僕には、僕のできないことには目を瞑り、僕のできることにだけ目を向け、僕は「できる」のだと思いこんでいる節がある。
比べてしまえば、何一つできると言うことのできるものなんて持ち合わせていないのに。
それとも、全てに自信がなくて、相対的に評価してしまえば僕を認められないから、絶対的に評価することだけをしてきたのかもしれない。
相対的に評価することから目をそむけてきたのかもしれない。


たった一つなかったことにできるのなら、迷わず選ぶことのできることがあって。
今考えれば、それは絶対的に評価したことから始まっていたように思える。単にバカだったからとも言えるけれどね。
絶対的にしか評価できないことから、たくさん負を産んでいる気がする。でも相対的には考えられない。
これは、逃げなのだろうか。