不幸論

幸せじゃないと思うことが不幸だと言うなら、それはいくらでも拭い去れるもの。
本当に不幸なことは、抗いようのない突然の喪失。


気づいていないだけで、いくらでも幸せは溢れている。
毎日一度でも笑えているのなら、それはどれだけ幸福なことなのだろう。
好きなだけご飯を食べられることは、どれだけ幸福なことなのだろう。
帰る場所があるのは、温かい布団で寝られるのは、自由に使える時間があるのは。
その一つ一つは当たり前だと思えることだし、あまり大したことはないかもしれない。
自分自身あまり分かっていないけれど、それを当たり前と出来ない人がたくさんいること。
人より恵まれているから幸福だというのもまた違うけれど、
あるはずだと思っているものも、一度でもない環境を体験すればまったく違う感覚を持つと思う。
小さなことでも幸せだと思うことができたなら、その積み重ねで生きることはきっともっと楽しくなる。
幸せだと感じなくても、毎日幸せだと思ってみたり、口にしてみたり、言葉にしてみたり
そういうことをしていればいつか本当に幸せだと感じられる
人間にはそんな機能がある気がする。


求めることが悪いことだとは思わないし、求めるべきだと思うけれど
今あるものを認めずに不幸だなんて言うのは贅沢なんじゃないかな。
不幸だ不幸だと言うことすらも、悪いことじゃないと思う。
でもそういうことを言う人は、その人の幸せは、きっとハードルが高くなっている。
なかなか満たされなくなっているんじゃないだろうか。
あまり苦労しなくても、いくらでも幸せだと思える要素があることを
忘れないようにしたい。