欠点から逃れられますか

欠点ばかりが目に留まる。


人の欠点、論の欠点、組織の欠点、形式の欠点。
ここが悪い、あれは駄目だ、それじゃいけない。
否定、否定、否定。


これは勝ってる、こっちは負けてる。
勝敗をつけるのが正しいことなのか。
勝ち負けに目を奪われていては、今の位置から前に進むことなんてできないんじゃないのか。


駄目だと思うことはある。
経験したからかもしれないし、理論的に分かっていることかもしれない。


まずは、いいところを見つけないといけないんじゃないだろうか。
一つもないなら、それは仕方がない。
でも、いいところの一つもないようなものは、なかなか存在しないんじゃないかと思う。
あるからには、何かある。
良い部分が、独創的な部分が、工夫が、どこかにあるはず。


一目じゃまずわからない、少し探しても気配もない、時間をかけても見つかるかもわからない、そしてそれを理解できるかもわからない、そんな物事の良い部分を見つけていくことの方が、否定することよりずっとずっとずっと大切なことなんじゃないかと思った。


最初に目につくのは否定的な部分かもしれない。
それを指摘することが、その対象にとって良いことになることもきっと、というか、よくあることなんだろう。
だけど、まずその前にどんなことに対してもその対象の良い部分を見つけようとしてみること、その心がけをするだけで、見えるものも変わっていきそうな気がする。
自分自身の成長にもつながると思う。


実感したんじゃなくて、なんとなくそんなことを思った。