共喰い/田中慎弥

共喰い (集英社文庫)

共喰い (集英社文庫)

「共喰い」と「第三紀層の魚」の二本立て。
読んだ直後の今の感触では、第三紀層の魚の方が面白かった。


「共喰い」は、中学生の主人公を中心とした田舎町での性の話。
第一印象として、高校生男子ってこのような衝動を持つものなのだろうか、という風に思った。
投げ遣りな態度を取ってしまったり、不安に駆られるところはよく理解できたし、よく描かれていると思った。
今パラパラと眺めて見ると、この物語の設定に対する自分の理解不足が、面白さを損ねてしまっているように感じる。
田舎、というものを、いまいち理解できていないし、その理解をこの作品から得られるということもなかった。


第三紀層の魚」は、赤間関(下関の昔の呼び名、らしい)に住む小学生の主人公の、死と向き合う中での心情を描いたお話。
物心付いた時には既に父と祖父を亡くしており、その時から寝たきりだった曾祖父にとうとう最期が近付いて来た頃、友達との距離が変わり、母親の仕事の都合で突然東京行きが決まり、曾祖父がよく釣っていたチヌはなかなか釣れず、曾祖父は痩せ細り、自分の身体はどんどん成長し、心も成長して分かることが増え、分かることが増えたことで分からないことの多さに気付き、そして自分の心も掴みきれない。
どうして今、というタイミングで一度にたくさんの変化が起こり、ついていけなくなる心の動き、最後には亡くなってしまう曾祖父の葬式に対する認識、そういうものがとてもよく描かれていると感じて、好きだなと思った。


図書準備室の時もそうだったんだけど、受賞作と銘打たれていない方の作品の方が好きだな、と感じている。
見てみると、「図書準備室」の語られる主人公は小学生と中学生の間、「冷たい水の羊」は中学生。
田中慎弥の描く、中学生になりたて位までの精神しか自分が持っていないのか、その辺りの気持ちが一番良く理解できるのか、そんなところだろうか。
他にも要因はあるかもしれないけれど。


でも、4編を通じて思うのは、未だうまく言葉にできないけど、何かしらの魅力を感じていて、続きが気になる、という感じではないのに、ここで少しやめようか、という考えが全く浮かばない、ということ。
一気に読み切ってしまう。
それが何なのか分かれば、他にも好きな作風が見つかるかもしれない。