対話

ここ一年くらい、まぁいろいろあったものの、わりと懇意にしている友人の就職が決まったそうだ。
メールで報せてくれたのだけれど、一番最初に来たのは喜びよりもむしろ安心だった。
就活の話を聞き始めた時には、それは自分の話ではないのだという認識を持って聞くことができていたのだけれど、あっちもだめ、こっちもだめ、がんばってるのにうまくいかない、そういう話を聞いているうちに、徐々に自分のことのように感じるようになってきていた。でも、面接の対策に相当の力を入れて準備していたのにうまくいかなかったということがつい先日あって、その時にはかける声を見つけられなかった。どれだけ自分のことのように感じていようとも、自分のことではないという現実は変わらず、どれほどのショックを受けているのか、はかることも、想像することも、欠片も出来なかった。
他の事と比べて、気持ちをくむことは多少は出来ているんじゃないかと思っていた。だけれどそれはただの思い込み、自信過剰で、実際には何一つくむことができない。
何かをして欲しいと思われているわけでなくても、話を聞いてしまえば何かをしたいと思ってしまう。それがお節介になると分かっていても、行動を止められない時もある。
臆病になって何もしないくらいなら、それが悪い結果になろうと何かした方がいいというのが自分の中の基本原理の一つではあるのだけれど、「できない」部分が明白になると、それも覆ってしまうのかもしれない。
自分のことのように喜べたらよかったのだけれど、これで落ち着けるということと、この件に関してはあれこれ考えなくていいということからの安心が一番にあった。
できることとできないことははっきり理解しておくべきだし、できないことが分かっていないと思わぬショックを受けることになったりする。
そのできるできないの基準は自分の中での絶対的なもので、でも、できているような気がするとか、その程度のものであったりして、自分の求めるレベルが現実にどの程度のものなのか、今の自分がそのレベルに対してどの位置にいるのかということを認識しておきたい。
たぶん、明日になったら忘れている。