よわむし

「優しいんですね。」
本当にそう思っているのか、お世辞なのかは分からない。
でも、一つ確かなことは、優しくなんてないということ。
「誠実なんですね。」
本心からの言葉なのか、気遣いからの言葉なのかは分からない。
でも、確かに分かっているのは、誠実なんて言葉には程遠いということ。


感情に任せたり、流されてみたりしたもの以外、自分で考えて決めたと思える選択は、いつも逃げの一手になる。
どの方向にも、少なからず興味を持っている。
そして、そのどの方向にも、これしかあり得ないという気持ちを持つことがない。
気持ちが弱い。感情が弱い。
好きだと思った人、好きだと思った物、好きだと思った事。
あっという間にその感情は生まれてきて、気付くといなくなっていて、それがどれだけの強度を持っていたのかも分からずに終わる。
関心が薄いのかもしれない。
自分の心を強く引き付けるのは、自分自身のことだけであって、その自分以外の世界のどんなものに対しても、大した興味を持っていないのかもしれない。


人のいいところを見つける。これは、得意かもしれない。
人の悪いところを見つける。これは、きっと苦手だ。


自分の友達は、友達だと思っている人は、それがどんなつながりであれ、少なくともどこかに惹かれている。
羨む心がどこかにある。彼が彼女が、どんな苦労をしているかも知らないのに。
その惹かれている部分が、本質なのか、表面的なものなのか、それを見抜くことはできていない。
考えなくて、いいじゃない。
うわべだけ繕っているのかどうかなんて、そんなことを考えるのはとてもしんどい。
疑いたくないなんて思ってないし、疑わずに騙されて傷ついても良いとも思えない。
だけど、それでも楽な選択をしている。真剣に向き合っていない。
ほらまたひとつ、逃げている。


自分が誰かを嫌いだと思う時は、それはもうほんとに感覚的なものでしかない。
なんとなく。
そんな理由で、誰かを嫌いだと感じている。
どこか悪いところを見つけられていることはほとんどない。
それでも、その嫌いだと感じる誰かのいいところを、見つけようとはしていない。
向き合うことを、面倒だと感じてしまっている。
また、逃げている。


何か嫌だと思うことがあるのは、自分が誰かを固定してしまっているから。
これまで生きてきた経験や、感じてきたこと、考えてきたこと、全部ひっくるめた今の自分が、自分以外の誰かを、全てを、こうあるべきだと決めつけている。
こういう関係であった、だから、こうでなくちゃいけない。
こういうことをしている、ならば、こうあるはずだろう。
その規定が、ことごとく外れて、自分はそれに不満を感じているだけ。
悪いところなんて、一つも見つけられていない。


居心地の良い空間を、そのすべてを壊さないような方法しか考えていない。
壊さないでは、いられないのに。
与えられたり、手に入れたりするもの全てを、欲張ってぜんぶ持っていこうとするから、抱えきれずに溢れたものが、次から次へと零れていって、零れる度にそれを取り返そうとして、ある時ふと、何一つ抱えていない自分に気付く。
全部持っていくなんてできない。
一つ、よくて二つ、必ず選択しないといけない。
選択しなかったものは、切り捨てないといけない、遠ざけないといけない。
切り捨てたり遠ざけたり、選択しないということができない自分には、何一つ持っている資格はないんだ。
そして、それを分かってか分からずか、いつも選択することから逃げている。
何一つ持たないようにして、それで勝手に傷ついてみたりして。
馬鹿だとしか思えない。勝手過ぎるとしか思えない。
そしてまた、ぬるく居心地の良い世界に浸かり続けようとしている。


どうして簡単に好意を持ってしまうのだろう。
どうして簡単に忘れてしまえるのだろう。
どうして誰が良いのか、何が良いのか、どれが良いのかを、はっきりと決めることができないのだろう。


唯一絶対の選択は、存在しないと言われるし、存在しないと思う。
それでも、その時の最善の選択、次善の選択、その次、そのまた次、そのどれも、選ぶことができていない。
真ん中よりは良い方に傾いた選択が、どちらかと言えば良かったと言える選択が、できるようにならないだろうか。
それとも、考え方が変わらない限り、全て最悪の選択だったと思ってしまうのだろうか。