講師としての一年

今日、終わった。


3月に突然あまり連絡を取ってなかった同級生からの連絡、それから数通のメールで決まった面接。
様子見のつもりが、面接前から入ることが決まってた感じの雰囲気で特にいやな感じもなかったので流された。


一年間の研修期間。
高三生のためのセンター英語と物理。
最初は何をやっていいのかよくわからなかった。
春が過ぎ暑くなってもわからないままだった。
とりあえず問題を解かせる。


暑い夏が終わり、だらだらした夏休みが後半にさしかかったぐらいからか、少しは余裕が出てきた。
同時にセンター英語に関して自分が指導できることなんて何もないということをあらためて実感した。
物理は、センター英語よりは少しましかな、ぐらいだろうか。


知識を、典型的な問題、解法を、詰め込むように何度も解かせて覚えさせるという方法もあった。
でもそんなのは訓練であって勉強じゃない、と思っていた。
予習はしなくていいから、授業の枠の間は集中するように言って、時間内で問題を解かせた。


解かせてからどこまで解けたか確認して、そこまで解説してまた解かせるという方法を取り始めたのは、夏休みも終わって少し肌寒くなってきた頃からだっただろうか。
問題をひたすらたくさん解かせるという方法よりも、この方がいいと今でも思っている。


秋が過ぎてでもなかなか寒くならず暑い日が続いて、そして年を越した。
センター英語はセンター試験が終わることで、その授業の役目を終えた。
生徒の成績を本人に聞くこともなく、塾長に聞くこともなくやってきて、本番の試験も終わって、気にはなったけど今さら確認する気にもなれず。
いい結果とは言わずとも、納得できる結果は出たのだろうか。
そして、一年弱の間自分が前に立って見ていたことに、少しでも意味はあっただろうか。


三日か四日経ったころか、塾長とパソコンの前で進路について話し合っている生徒を見かけた。
心の底からの熱望でも、わすかな憧れでも、志望校に出願できたのだろうか。
英語が足を引っ張ったせいで、一つも二つも落とさざるをえなくなっていた、なんてことになっていなかっただろうか。
彼らは何も言わないし、塾長も何も言わない。
もちろん自分は超能力者でも何でもないから、言葉にしてもらわないと分かるということができない。
なんとなく辛かった。


指導するのにも少し慣れてきた。
どこまでできたかを確認し、教えるときに、どうやって考えたのかを先に聞いた。
言い訳にすぎないけれど、予習の段階であまり問題を深く掘り下げている暇もなかったからか、生徒が予想していない方法で解いていることが何度もあった。
それをすぐに正解だともいえず、間違えているともいえず、最終的には生徒たちと一緒にどこが違うかを考えるようにした。
指導する立場にいるのに、大した指導をできなかったのが少しつらかったけれど、それでもこうやって考えることは無駄にはならないと信じている。


それから約一ヶ月、今日最後の授業を迎えた。
今まで遅刻はしたことがなかったのに、最後の最後に限って寝坊した。
昼過ぎに起きてからさらに二度寝をするという気の抜け具合。
昨日少しでも振り返るようなことを書いたせいかもしれない。
今までにないほど急いで、起きてから2分で家を出た。
紙一重でぎりぎりの電車に滑り込んで、最近は寒かったのに汗がとまらなかった。
タオルも持っていなかったからノートで扇いで耐えた。
生徒たちはこれからが本当の本番だというのに、昨日の時点で少しでも終わったと感じてしまったことに対する罰なのだと思った。
授業時間には間に合って、最後の授業も特に問題なく終わった。


最低限レベルの知識がいくつか抜けている生徒もいたみたいだった。
それは4月から7月にかけての自分の無能さを表しているようだった。
今から一年間教えたとしたら、きっともっとできるように教えられるのに。
いつの間にか、わずかだけれど、そんな自信も持つようになっていた。
最初は何もできない人も他にもいるかもしれない。
けれど、受験生を教える身として、最初のころからもっとできることはあったんじゃないだろうかという気持ちが、いつまでも消えない。


やりがいはあったけれど、達成感とは程遠い最後で、疲れたという印象しかない。
彼らはまだたたかっているのに、もうこの文章を書いている時点で自分は終わったと感じている。
後は声がかかる最後の一瞬まで、出せるものをすべて出してくれることを願うことしかできない。
もしまた教える立場に身を置くようなときには、きっと後悔しないようにやれるだけのことをしたい。
その時も、知識を増やすことよりも、考える習慣をつけて、考える時間を増やせるような指導をしたい。
受験勉強にはあまり楽しいと感じられる瞬間はないけれど、それも学問に通じるところがあって、分かったという瞬間は、きっと気持ちのいいものだから。
そんなことを思う一年間だった。