存在と証明

久しぶりにパソコンに向かって書く。
ふと思ったことを書くのには携帯のほうがいいのだけれど、
思ったことをつらつら書き連ねるにはパソコンのほうがいい。


日記という形式で一日一エントリという構成をやめてからしばらくたったと思う。
やめてからこっち、長い文章というのを書かなくなった。
これは個人的に精神衛生上あまり良くないんじゃないかななんて思う。
とにかく何でもいいから何かを書く、それだけで考えてることの整理にもなったし、
なによりそれが一つの習慣になっていた。
パソコンをわざわざ立ち上げるのが面倒というのもあるけれど、
立ち上げたら立ち上げたでメールのチェックとかその程度で終わる。
時間があまりないと文章を書くことはしない。
どこをどうみて時間がないなどと思うのか。
遊んでばかりの毎日で、どこが時間がないのか。


バイトの予習、ただそれだけに追われて今年の前期は何一つ勉強していない。
なんのためのバイトなのか。
今やれる分としては十分な量の本がすでにある。
やろう、あるいは読もうと思ったから手に取ったんじゃないのか。
持っているだけじゃ何の意味もない。
単位が取れようが取れまいが、わかってなかったら意味がない。
卒業がどうだなんて関係ない。
身に付いているかどうか、それだけ。
その確認の意味でのテスト。
前期はどれほど手ごたえが悪かったのかは分かっているはず。
たとえ単位がこようとも、わかっていないのならその単位は無意味。
その授業を受けた時間も無意味。
それこそ遊んでいたほうがまだましだ。


初めて講師をやってみて、慣れていないのもあったのかもしれない。
でももう何か月経ったのか。
そんな言い訳はできない。


もう何度自問したか分からないけれど、何のために受験したのか。
一度落とされたところに通っただけで満足していないか。
大学への入学はゴールじゃない、スタートだ。
そう思って去年の一年間を過ごしたんじゃないのか。
本当にやりたいことは何なのか。
終わった後、やらなければ良かったなんて思うことで4年間を過ごすつもりか。
何がしたいのかはもうわかっているはず。
たとえ少し違ったと思ったとしても、最終的な方向性としては間違っていないはず。
去年正反対の位置にいたのだから。



まず、やること。

何をしよう何からしよう、そんなことを考えている暇があるなら
適当に手に取った本を少しでも読む。
その日はその本だけを読む。
続かなさそうなら次の日は変えればいい。
続きそうなら次の日もやればいい。
それができるだけの本の量はある。


去年までの生活とは変えようと思ったはず。
変わろうと思ったはず。
今のままじゃ何も変わっていない。
まだ変更のきく今のうちに。
本当に自分がやりたいことなのかどうかを見極めないと。


変わりたい、なんて思うんじゃなくて、
変えればいい。
一つでもいい。
いつもやっていたことをやらなければいい。
いつもやらなかったことをやってみればいい。
それだけで違いが出る。
それが積み重なれば変わる、変えられる。




大学生なんだから。
半端なことじゃなく、本当に自分がやりたいと思うことを。